私達の人生は、人間の知恵や決断ではなく神様によって導かれていることを後になって感じます。皆様それぞれの人生も、この教会の将来も。
今日の聖書は、復活されたイエス様が、再び弟子たちに姿を現される出来事の次第が、伝えられています。キリストは、弟子たちにどのように現れ、何を語られたのでしょうか。そして、今日の私たちにどのように語られるのでしょうか。
言葉に聞く
ペテロは「私は漁に行く」と言い、ほかの弟子たちも出かけて行きました。それは神様を捨てて、昔の生活に戻ることをも意味していました。
キリストに従い、信仰を持って生活をしていても、思うように行かないことがあり、心の中に、キリストがいなくなってしまうことがあります。しかし、魚は一向に獲れません。人生は思うように行かず、味気なく、意味がない物に見えてきます。
今日の神様のメッセージは、そんなときに、キリストが現れてくださるということです。その時にのみ、人生に意味が与えられる。その人生は、「神は光であり、闇がまったくない。」のです。「私たちが光の中を歩むならば、イエスの血によってあらゆる罪から清められる」のです。
振り返り
ブラジルへ越してきてまだ3日ですが、昨夜「噂に聞いていたブラジル」を突然体験しました。「停電」です。
片付けも、夕食の準備も、シャワーも今日は無理か・・と、二人で途方にくれました。電気の生活に慣れている私は、インターネットがまだ開通せず、停電では手も足も出ません。
しかし、教会に住んでいるんだと気付き、しばらく、聖壇の蝋燭とマッチを拝借しました。
奨め
目 の前が真っ暗になって途方にくれているときに、キリストがこられ、光として、私たちを照らします。そのときに初めて、足元が、手元が、目の前の人の顔が はっきりと見えるのです。暗闇で一生懸命に努力したり挫折したりする人生ではなくて、キリストの光により照らして頂いて始めて、意味のある人生へと変えら れます。
暗闇の中での蝋燭の明かりは、なんと明るく、暖かく、心強いものでしょうか。昔の生活に戻り、網を打ってみても何もかからず、無 力でいるときに、向こう岸に、傍らに、キリストがいてくださいました。私達の人生でも、傍らにキリストがおられるのです。そのキリストに気づき、その声に 従うことができれば、どんなに人生は変わるでしょう。
皆様とこのサンパウロ教会の群れの上に、大きな祝福があり、私たちが打つ網が、満たされるように、ともに祈り、力を合わせてまいりたいと思います。