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2010年1月30日土曜日

「辛いという字に一足すと…」- Se você colocar “1” para palavra “infeliz”-

聖書
第一日課 エレミヤ書17章5節~8節 (旧 p. 1208)
第二日課 コリントの信徒への手紙Ⅰ12章27節~13章13節 (新 p. 316)
福音書 ルカによる福音書6章17節~26節 (新 p. 112)

説教題「辛いという字に一足すと…」- Se você colocar “1” para palavra “infeliz”-

導入
今 日の聖書は、山上の垂訓、または平地の説教と呼ばれるところ。「幸いなるかな、…の人」という話が八つマタイで語られていて、「八福教会」「山上の垂訓教 会」という教会がガリラヤ湖畔の丘の上に建てられています。ルカの福音書の記事では、4つの幸いな人、4つの不幸な人が語られています。今日は、何が幸せ か、何が不幸か?について、聖書から学んでいきましょう。

聖書に聞く
聖書を読んでいくと、イエスさまのお話で、幸いな人は次のような人たちでした。貧しい人、飢えている人、泣いている人、憎まれる時です。それに対して、不幸だとされる人は次のような人たちです。富んでいる人、満腹している人、笑っている人、ほめられる時です。
これらは、私たちの常識とは違います。むしろ正反対です。聖書をどうとらえてよいか、悩むところですね。

振り返り
私 たちは、普通、何を幸せと思い期待し、何を不幸と思い避けようとするでしょうか。八福教会のことから、日本の「七福神」を思い出しました。各地に七福神を 祀ってある神社やお寺があり、それらを巡りお参りをすると、ご利益があり幸せになれると、信じられています。では、その七福神がもたらす7つの幸せとは、 どんなことでしょうか。
少し調べてみました。弁財天が愛敬、大黒天が富財、毘沙門天が威光、寿老人が長寿、布袋尊が大量、恵比寿が正直、福 禄寿が人望のご利益があるとか。また、別の街ではそれぞれ、商売繁盛、幸福と財宝招来、音楽と財宝利得、幸福と長寿、長寿、財宝、福徳円満の神と言われて います。他には、達磨大使(七転び八起き)を入れて八福神のところもあるそうです。
人々が何を幸せとして求めているかがよくわかります。七福神の日本の信仰は、人々が欲しがるものです。しかし、聖書は、普通に求めるものと、正反対のものを提示しています。一見不幸な物、これを「幸い」と説くイエス様のその真意は何でしょう?
そ の答えは、今日の旧約聖書読むと、神様の声が聞こえてくるのです。「呪われよ、人間に信頼し、肉なる者を頼みとし、その心が主を離れ去っている人は。祝福 されよ、主に信頼する人は。主がその人のよりどころとなられる。」とあります。鍵は、人や自分に信頼するか、神に信頼するかということです。

奨め
「辛いという字に、一文字足すと 幸せ もうひと踏ん張り」という文章が書かれた飾りを日本から持ってきました。「もうちょっと頑張ろうか」と思わされるほほえましい飾りです。
し かし、聖書は、そこでもうひと頑張りを迫っているのではありません。この人「一文字」が、「もうひと頑張り」ではなくて、「神様 という一文字」になる時 に、私たちに、本当の幸せが来るに違いないのです。何よりも、神様を信じて、従い、任せること。苦しさや迷いや、困難が私たちの人生にはある。それを追い 払うのが目的ではなくて、その時にも、神様を見つめて生きるときに、本当の幸せが見えてくる。何が大切で、何がうつろな物かが、見えてくる。
そして、その後に、神様は祝福し、道を開いても下さる。辛い時に、どんな一文字をつけたすかで、私たちの人生は変わるのです。
「もうひと頑張りの」もよいが、「神様を一番にする」をつけたす生活に、イエスさまは招いていらっしゃるのでした。そして、隣人にも、愛の言葉を、奉仕を進めておられます。神様と共に歩みましょう。



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2010年1月24日日曜日

「神様からの一人ひとりへの呼びかけ」

「神様からの一人ひとりへの呼びかけ」
- O Chamado de Deus para cada um de nós -

聖書
第一日課 エレミヤ書1章9節~12節 (旧 p. 1172)
第二日課 コリントの信徒への手紙Ⅰ12章12節~26節 (新 p. 316)
福音書 ルカによる福音書5章1節~11節 (新 p. 109)

導入
先週はヨナについて学びました。神様から逃げた預言者でしたが、大変な体験をして、回心し神様のもとに戻って来ました。今日は、エレミヤの召命と、イエス様の弟子の召命についての物語です。神様からの呼びかけについて、学んでいきましょう。

聖書に聞く
エレミヤはヨナのように不信仰ではなくて、有名な偉大な預言者でした。彼が神様に選ばれる時、神様が手を伸ばして彼の口に触れ「あなたの口に私の言葉を授ける。見よ、今日、あなたに、諸国民、諸王国に対する権威を委ねる。抜き、壊し、滅ぼし、破壊し、あるいは建て、植えるために」と語りかけます。そして、アーモンド(シャーケード)の幻を見せて、「わたしは、私の言葉を成し遂げようと見張っている(ショーケード)」と、いつも共にいて、いつも見ていることを告げるのでした。それから、エレミヤは神の言葉を携えて、人々に伝える働きを始めました。新約聖書はイエス様が漁師を弟子として召し出す時の話です。漁師たちは、イエス様に声をかけられます。最初は、湖岸で押し寄せる群衆に話がしやすいように舟を沖に出すように頼まれて、み言葉を語るステージのような役割をさせたのでした。そしてその後、彼らを弟子として召し出されます。み言葉を語るイエスを支える役割だけではなくて、共にみ言葉を伝え、人間を取る漁師にするということでした。彼らは一晩網を降ろしても何も獲れなかったのに、イエス様の言葉に従うと、溢れるばかりの魚が獲れ、ペテロはこの方がただの人でないことを信じるのでした。それから、彼は一切を捨てて、キリストに従いました。

振り返り
日本のルーテル教会で3月に按手式があると、日本からとアメリカからメイルをもらいました。なぜアメリカからもかと言うと、今年のポスターを見ればわかります。私がブラジルに派遣されるときの派遣式の模様を、油絵で描いたものがデザインに使われているのです。デール先生という引退しアメリカに帰られた元宣教師が、私のために描いてくれたもの。このポスターを見て、他人ごとではないように思えました。デール先生も自分の教え子がブラジルに派遣されるのを見て、かつて自分が日本に派遣された日の事を思い出して、感動したというのです。自分も、遠回りをして、牧師になったこと、そして、今ブラジルに派遣された時の、神様の招きを思い出しました。

奨め
さて、今日の聖書のメッセージは、預言者や弟子が神様に呼び出される話や、牧師が生まれていったり、宣教師が派遣されたり、そういう話だけではありません。昔、そんなことがあったんだなぁと、他人事ではないのです。私たち信徒一人ひとりが、神様によって、呼びかけられ、招かれています。洗礼をうけたとき、受けようと思う日。そんな大きな時だけでなくて、目の前で、困っている人に出会ったとき。通り過ぎることもできるし、立ち止まることもできる。手を振り払うこともできるし、手を伸ばすこともできる。一期一会の、一瞬一瞬が神様の招きの時。大それたことばかりではない、小さなこともあるのです。この写真(メトロの駅の通行人の写真)にあるように、普通の生活の一コマで、神様は私に声をかけ、誰かに会わせているかもしれません。神様を伝えるために、または、困っている人に愛の手を差し伸べるために。今週私たちは、誰に会うでしょうか? どこに遣わされるでしょうか? 神様と共に歩みましょう。


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礼拝週報・20100124

礼拝の週報をアップしました。

PDFファイルです。
http://docs.google.com/fileview?id=0B-pFTNNrAIKIMzExMjRhZjQtYjU2Ny00MDFiLWJlMmEtN2RlNGMzY2M2ZmQz&hl=ja

どうぞ、ご覧ください。

2010年1月17日日曜日

説教 「どこへ行こう? さあ、逃げよう!」

今日は、午前中南米教会で日本語で、そして午後にサンパウロ教会でポルトガル語で礼拝説教をしました。

もっとポルトガル語が自由に話せるようになりていと痛感します。
木曜日に日系2世のAntonio君にポルトガル語を見てもらい、修正してもらいました。日本語の漢字があると難しいので、英語でも書いてみて、それとポルトガル語を照らし合わせてもらいました。せっかくそんな作業でかいてみましたから、日本語と英語とポルトガル語で説教を掲載します。ついでに、昔勉強したスペイン語にもしてみました。めざせQuatro-lingual-missionary・4カ国語宣教師^_^;です。
2010年の新しい挑戦として、時々、やってみます。間違いもたくさんあると思いますが、おゆるしください。

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説教題 
「どこへ行こう? さあ、逃げよう!」
“Where shall I go? I will escape!”
“Para onde vou? Vou fugir!”
“¿Para dónde voy? Voy escapar!”

聖書箇所
Japanese_ヨナ書2章1節~3節
English_Bible Jonas 2:1-3
Portuguese_Biblia Jonas 2:1-3
Spanish_Biblia Jonas 2:1-3


1、導入
今日の聖書の個所は、ヨナの話です。旧約聖書にたくさんの預言者が出てきますが、私はヨナにとても親近感を覚えます。偉大な信仰深い預言者ではなくて、彼はとても人間らしいからです。
Today, we are reading a story from Jonah. There are many prophets in the Old Testament. But Jonah is unique and I feel friendly to him. Because he is not a very faithful man, but he is very human.
Hoje, nós estamos lendo uma história de Jonas. Há muitos profetas do Antigo Testamento. Jonas, porém, é único e que sinto amigável com ele. Porque ele não foi um homem muito fiél, mas ele é muito humano.
Hoy, estamos leyendo una historia de Jonás. Hay muchos profetas en el Antiguo Testamento. Pero Jonás es único y me siento amigo de él. Porque no es un hombre muy fiel, pero él es muy humano.


今日の最初の絵を見てみましょう。この絵は、神様の声を聞いて、目的地に向かって走っているのではありません。反対に、「さあ、逃げよう」と、逃げだしているのです。神様が行くように命じたニネベの街ではなくて、反対の方向に逃げて行っています。
Let's take a look at today's first picture. He is not rushing to the place where God told to go. On the contrary, he is running away from God! He is thinking “where to go? Now escape!” He did not go to Nineveh where God ordered him to go, but he is running away to the other place.
Vamos dar uma olhada na primeira foto de hoje. Ele não está correndo para o lugar onde Deus lhe disse para ir. Pelo contrário, ele está fugindo de Deus! Ele está pensando ", Para onde vou? Vou fugir!!" Ele não foi a Nínive, onde Deus lhe ordenou que fosse, mas ele está fugindo para outro lugar.
Echemos un vistazo a la primera imagen de hoy. Él no está corriendo al lugar donde Dios le dijo a ir. Por el contrario, está huyendo de Dios! Él está pensando "¿Para dónde voy? Voy escapar!” El no va a Nínive, donde Dios le ordenó que ir, pero huye a otro lugar.

神様に背中を見せて、ひたすら走って逃げる。そんなことが私たちにもあります。さて、そんなヨナは、その後、どうなったのでしょうか? どうして、こんな信仰の薄い預言者が聖書に載っているのでしょうか? 聖書の続きを学んでみましょう。
Showing our back to God, running away from God. Don't we have such a time? What will happen to Jonah after this? Why such a prophet without a faith is told by the Bible? Let us read on the Bible.
Mostrando as costas para Deus, fugindo de Deus. Não temos tanto tempo? O que vai acontecer com Jonas depois disto? Por quê um profeta sem fé é falado na Bíblia? Vamos ler a Bíblia.
Mostrando la espalda a Dios, huyendo de Dios. ¿No tenemos un tiempo como este? ¿Qué pasará con Jonás después de esto? ¿Por qué un profeta sin la fe es contada por la Biblia? Leamos en la Biblia.

2、 聖書に聞く
彼は船に乗って別の方向に行きました。タルシシュという街に行く船に乗ったのです。人ごみにまぎれて逃げようとしたのです。しかし、船は嵐に会います。それでもヨナは船底で寝ています。船長は彼を見つけて呆れます。「あなたも、あなたの神に祈りなさい」と。みんなは、くじ引きをするように決めました。「誰の せいで、この災難に逢っているのか、はっきりさせよう」と。すると、くじはヨナにあたりました。彼は正直に、神様から逃げてきたことを話します。そして、自分を海にほうりこんだら、嵐は収まるだろう、と言います。それを聞いて乗組員は岸に戻そうとしましたが、風が強く出来ません。仕方なく彼らはヨナを海にほうりだしました。すると、海は静かになるのです。
He took a ship and went to another place. This ship is not bound for Nineveh but Tarushishu. He tried to run away from God with crowded people. But there came a storm. But Jonah was sleeping at the bottom of the ship. The captain found him sleeping, and he said appallingly, “pray for your God”. People on the ship decided to draw a lottery to find who is against God. Then, Jonah was elected by lottery. He confessed that he was running away from God. And Jonah said. “Throw me away to this sea. And this storm will be calm.” Sailors tried to ahead to land, but they couldn't because of heavy storm. So sailors threw Jonah away to sea. Then, sea became calm.
Ele tomou um navio e foi para outro lugar. Este navio não foi a Nínive, mas para Tarushishu. Ele tentou fugir de Deus com varias pessoas. Mas chegou uma tempestade. Jonas estava dormindo no fundo do navio. O capitão encontrou-o, quando ele estava dormindo, e ele disse terrivelmente , “Ore para o seu Deus.” Pessoas estão a bordo do navio decidiu fazer um sorteio para saber quem é contra Deus. Em seguida, Jonas foi eleito por sorteio. Ele confessou que estava fugindo de Deus. E Jonas disse, “Me joga para fora deste mar. E faz essa tempestade se acalmar” Marinheiros tentaram dirigir, se a frente da terra, mas eles não conseguiam por causa da forte tempestade. Então, os marinheiros atiraram Jonas afastado para o mar. E o mar se acalmou.
Él tomó un barco y se fue a otro lugar. Este barco no está para a Nínive, pero Tarushishu. Trató de huir de Dios con el pueblo lleno de gente. Pero llegó la tormenta. Pero Jonás estaba durmiendo en la parte inferior de la nave. El capitán lo encontró durmiendo, y dijo terriblemente, "orar por su Dios". La gente en el barco decidió elaborar un sorteo para saber quien está en contra de Dios. Entonces, Jonás fue elegido por sorteo. Confesó que estaba huyendo de Dios. Y Jonás dijo. "Echarme a este mar. Y esta tormenta se calma ." Marineros trataron de antelación a la tierra, pero no pudieron debido a la fuerte tormenta. Así que los marineros tiraron a Jonás a la mar. Entonces, el mar se calmó.

その後、彼は海で死んだかというと、そうではありません。大きな魚に飲み込まれてしまいました。魚のおなかの中で、ヨナは、ようやく回心します。「苦難の中 で、私が主に叫ぶと、主は答えて下さった。」「しかし、わが神、主よ。あなたは命を、滅びの穴から引き上げて下さった。」そして、「私は感謝の声を上げ、 いけにえをささげて、誓ったことを果たそう。救いは主にこそある」と祈りました。すると、魚はヨナを陸地にはきだしたのです。
What happened to Jonah after that? Did he die in the sea? No. He was swallowed by the big fish. He was still alive in a stomach of the big fish. In a stomach of this big fish, he repented at last. And he prayed. “God answered me when I prayed in the hardship” “but my God, you saved me from the hole of perish.” ”I will praise you and offer a sacrifice. And I will fulfill a vow. Here exists our salvation in our Lord.”At that time, big fish pushed Jonah out from his stomach on a land.
O quê aconteceu com Jonas depois disso? Ele morreu no mar? Não. Ele foi engolido por um peixe grande. Ele ainda estava vivo dentro do estômago deste grande peixe. Dentro dp estômago desse peixe grande, ele se arrependeu no último e orou. “Deus me respondeu quando eu orava na miséria”,“mas meu Deus, você me salvou do buraco do perecer.”, ”Eu vou elogiá-lo e oferecer um sacrifício. E eu vou cumprir uma promessa.” Aqui existe a nossa salvação em nosso Senhor. Naquele momento, o peixe jogou Jonas empurrado para fora de seu estômago em um terreno.
¿Qué pasó con Jonás después de eso? ¿Se murió en el mar? No. Él fue tragado por el pez grande. Todavía estaba vivo en el estómago del pez grande. En el estómago del pez grande, se arrepintió en el último. Y oró. "Dios me contestó cuando oraba en las dificultades", "pero mi Dios, me has salvado del agujero de perecer "." Yo te alabaré y ofrecer un sacrificio. Y voy a cumplir un voto. Aquí se encuentra nuestra salvación en nuestro Señor. En ese momento, gran pez empujado a Jonás de su estómago en una tierra.

もう一度、神様の言葉が彼に臨みました。今度は、ヨナはそれに従い、ニネベの街に向かいました。
Once again, God spoke to Jonah. This time, Jonah followed God's word and went to Nivneveh.
Mais uma vez, Deus falou com Jonas. Desta vez, Jonas seguiu a palavra de Deus e foi para Ninive.
Una vez más, Dios habló a Jonás. Esta vez, Jonás seguido la palabra de Dios y fue a Nivneveh.

聖書はそのように続いています。私たちも、神様に向かって、背中を向けて逃げ出してしまうことがないでしょうか。人から、目の前の現実から、逃げてしまうことがないでしょうか。逃げてしまって、ますます大きな困難が来ても、船の底で布団をかぶって寝込んでいることがないでしょうか。
Bible told this story like this. Don't we have a time to run away from God showing our back? Not only from God, from other people or from the reality in front of us? After running away, there comes another bigger problem. But just sleeping at the bottom of our ship. Don't we have these time?
Bíblia contaima história parecida com essa. Não temos mais tempo para fugir de Deus mostrar a nossa volta? Não só de Deus, de outras pessoas ou da realidade, diante de nós? Depois de fugir, aí vem outro problema maior. Mas apenas dormindo no fundo do nosso navio. Não temos mais esse tempo?
Biblia contó esta historia como esta. ¿No tenemos un tiempo para huir de Dios que muestra la espalda? No sólo de Dios, de otras personas o de la realidad frente a nosotros? Después de huir, se viene otro problema mayor. Pero sólo para dormir en la parte inferior de la nave. No tenemos estos tiempo?

ヨナの物語を読んで、逃避するヨナと、どんなことをしても連れ戻す神様の愛のコントラストを見ることができます。そして、ただ連れ戻すのではなくて、ヨナの 心が連れ戻されたことを見逃してはいけません。彼は魚の中で、祈り、感謝し、悔い改めたのです。彼の心が神様のもとに戻って来たのです。
But we can see a big contrast between Jonah and God. Jonah is running away, but God is following him with any effort. And we must know that this is not just Jonah's coming back, his heart came back to God. Jonah prayed , thanked God and repented in a stomach of big fish. His heart was brought back to God.
Mas, nós podemos ver um grande contraste entre Jonas e Deus. Jonas está fugindo, mas Deus o segue com todo esforço. E devemos saber de que não se trata apenas de Jonas está voltando, o coração dele voltou a Deus. Jonas orou, agradeceu a Deus e se arrependeu no estômago de um peixe grande. Seu coração foi trazido de volta a Deus.
Pero podemos ver un gran contraste entre Jonás y Dios. Jonás es huir, pero Dios lo sigue con cualquier esfuerzo. Y debemos saber que no se trata sólo de Jonás a volver, su corazón volvió a Dios. Jonás oró, gracias a Dios y se arrepintió en el estómago del pez grande. Su corazón fue traído de vuelta a Dios.

3、振り返り
ヨナの話を読んで、思い出したのが、中国の西遊記、孫悟空の話です。
This Jonah's story reminded me a story of “Songoku” from a Saiyuki of ancient China.
Esta história de Jonas me fez lembrar a história de “Songoku” em Saiyuki na China antiga.
Esta historia de Jonás me recuerda una historia de “Songoku “ de Saiyuki de la antigua China.

彼 は修業をして、雲に乗って空を飛んだり、72の変化の術を習得しました。有頂天になり、彼はお釈迦さまに自慢をします。お釈迦様は、「それなら、私の掌か ら思う存分飛んでみなさい」と言います。孫悟空は一生懸命に飛び続け、宇宙の果ての雲海から突き出た5つの山にたどりつきます。そこまで来て、彼は一番高 い山に登り、「孫悟空、この山を征服せり」と落書きをして帰ってきました。帰ってきてお釈迦さまに自慢をしました。
Songoku trained hard and finally he could fly using Kintonun cloud and change himself to 72 forms. He was so happy and proud of himself. And he said to Buddha about that. Buddha said to him. “ Then fly away from my palm as far as you wish.” Goku flew away with his best effort and he found 5 big mountains when he felt that he flew the end of the universe. He climbed up highest mountain. He wrote a sentence “ I Goku conquered this mountain” After that, he came back to Buddha with proud.
Songoku treinava duro e, finalmente, ele podia voar usando nuvem “Kintonun” e mudar-se para 72 formas. Ele estava tão feliz e orgulhoso de si mesmo. E disse ao Buda sobre isso. Buda disse a ele. "Então voar para longe de minha mão, tanto quanto você quiser." Goku voou com o seu melhor esforço e ele encontrou 5 grandes montanhas, quando ele sentiu que voou no fim do universo. Ele subiu a montanha mais alta. Ele escreveu uma frase "Eu Goku conquistei esta montanha" Depois disso, ele voltou ao Buda, com orgulho.
Songoku entrenado duro y, finalmente, pudo volar utilizando “Kintonun” nubes y el cambio mismo de 72 formas. Estaba tan feliz y orgulloso de sí mismo. Y él le dijo a Buda acerca de eso. Buda dijo a él. “Entonces, vole de mi mano, en la medida que desee.” Goku voló con su mejor esfuerzo y se encontró con 5 grandes montañas cuando sintió que voló el fin del universo. Se subió la montaña más alta. Escribió una frase "Yo Goku conquistó esta montaña." Después de eso, volvió a Buda con orgullo.

すると、お釈迦様 は「相当遠くまで行った。宇宙の果てに5つの大きな山があっただろう。そこに「孫悟空、この山を征服せり」と落書きをしてきただろう。」と言います。孫悟空は驚いて、「どうしてそれを知っているのですか?」と聞きました。するとお釈迦様は手を開いて見せました。その中指に「孫悟空、この山を征服せり」と書いてありました。はるか遠くまで飛んで行ったと思っていても、実はお釈迦様の掌の上を出ていなかったのだということで、仏と人間の知恵の差を教える物語です。日本でも有名な、お話です。
Buddha said to him. “ Hey Goku, you flew long way. You found 5 mountains at the end of the universe and you wrote a sentence “ I Goku conquered this mountain” Goku was surprised to hear that. “ Why do you know this?” he asked to Buddha . Then Buddha opened and showed his palm to Goku. There was written a sentence “ I Goku conquered this mountain” on the middle finger of Buddha. Goku didn't fly away out of the Buddha's palm in spite of his great effort. This story tells us the big Gap between the human and Buddha. And this was a story well known in Japan.
Buda disse a ele. "Olà, Goku, você voou muito longe. Encontrou 5 montanhas no fim do universo e você escreveu uma frase "Eu Goku conquistei esta montanha." Goku ficou surpreso ao ouvir isso. "Por quê você sabe disso?", Perguntou a Buda. Então Buddha abriu e mostrou a palma da mão para Goku. Esta escrito uma frase "Eu Goku conquistei esta montanha" no dedo médio de Buda. Goku não voou para fora da palma de Buda, apesar de seu grande esforço. Esta história nos diz do grande abertura entre o humano eo Buda. E esta foi uma história bem conhecida no Japão.
Buda dijo a él. “Ola Goku, usted voló tanto lejos. Has encontrado 5 montañas al final del universo y escribió una frase "Yo Goku conquistó esta montaña" Goku se sorprendió al escuchar eso. "¿Por qué sabes esto?", Preguntó a Buda. Entonces Buda se abrió y mostró su palma a Goku. Había escrito una frase "Yo Goku conquistó esta montaña" en el dedo medio de Buda. Goku no voló fuera de la palma de la mano de Buda, a pesar de su gran esfuerzo. Esta historia nos cuenta la gran diferencia entre lo humano y de Buda. Y esta fue una historia bien conocida en Japón.

ヨナは、神様と競ったのではありません。神様からひたすら逃げようとしたのです。そして、掌の中で捕まったのではなくて、神様がどんなところにまでも連れ戻しに来られたのです。そして、ヨナが 回心した時に、苦境から救いだしてもらいました。
But our story written in the Bible tells same story and another story, too. Jonah didn't fight against God. He just ran away from God. And Jonah didn't caught by God in his palm. God followed Jonah and caught him. When Jonah repented from his heart, God saved him from the difficulties.
Mas nossa história escrita na Bíblia diz a mesma história e uma outra história, também. Jonas não queria lutar contra Deus. Ele simplesmente fugiu de Deus. E Jonas não foi capturado por Deus em sua palma. Deus seguiu Jonas e pegou. Quando Jonas se arrependeu de coração, Deus o salvou das dificuldades.
Pero nuestra historia escrita en la Biblia nos dice la misma historia y otra historia, también. Jonás no lucha contra Dios. Él sólo se escapó de Dios. Y Jonás no capturados por Dios en su mano. Dios seguido Jonás y lo atrapó. Cuando Jonás se arrepintió de su corazón, Dios lo ha salvado de las dificultades.

私 たちも、人間から、現実から、そして、神様から逃げ出してしまいたくなる時があります。こうすれば良いと分かっていても、そうしない時があります。それと は反対方向に、背中を向けて逃げてしまうことがあります。状況が悪くなっても、立ち戻ろうとせずに、船底で寝込んでしまうこともあります。しかし、どこま でも追いかけてくる神様の愛の力で、私たちの本心は何が大切かを教えられるのです。苦しい時に祈ったら、神様に救ってもらった。神様から逃げてはいけな い。神様の言われるようにしよう。と、悔い改めて、祈る時に、苦境から救いだされるのです。
We also have a time that we want to run away from other people, from realities in front of us and from God. We often don't do a thing even we know we have to do. Or even, we sometimes run away from God showing our back to God. And we often sleep in a bed at the bottom of the ship when situation goes worse. But, we are changed by the power and love of God. Our heart knows what is right and what is wrong. What is to be done, and what is not to be done. And we know that when we pray in the hard time, God saves. We should not run away from God. It is meaningless. Do as God says. We repent and pray, then God takes us out from difficulties.
Nós também temos um tempo que queremos fugir de outras pessoas, ds realidade em frente de nós e de Deus. Muitas vezes não fazemos que devemos fazer, mesmo sabendo que temos que fazer. Ou até mesmo, às vezes fugir de Deus mostrar a nossa volta para Deus. E, muitas vezes, dormir em uma cama no fundo do navio quando a situação pode piorar. Mas, somos transformados pelo poder eo amor de Deus. Nosso coração sabe o que é certo eo que é errado. O quê está a sendo feito, eo que não está sendo feito. E nós sabemos que quando oramos nos momentos difíceis, Deus salva. Nós não devemos fugir de Deus. É sem sentido. Faça o que Deus diz. Arrependemos e oramos, então Deus nos tira das dificuldades.
También tenemos un tiempo que queremos huir de otras personas, de las realidades en frente de nosotros y de Dios. A menudo no hacer nada ni siquiera sabemos que tenemos que hacer. O incluso, a veces huir de Dios que muestra la espalda a Dios. Y a veces sueño en una cama en la parte inferior de la nave cuando la situación va empeorando. Sin embargo, hemos cambiado por el poder y el amor de Dios. Nuestro corazón sabe lo que está bien y qué está mal. Qué se debe hacer, y lo que no se va a hacer. Y sabemos que cuando oramos en el tiempo duro, Dios salva. No debemos huir de Dios. No tiene sentido. Haz lo que Dios dice. Nos arrepentimos y orar, entonces Dios nos saca de las dificultades.

4、奨め
先 週の礼拝で洗礼にはノアの洪水の話と共に、このヨナが海にのまれ、魚にのまれ、死ぬような体験をしながら悔い改めをして生まれかわった出来事も、象徴的に 受け継いでいることを学びました。神様にきちんと向き合う生活を一緒に歩んでいきましょう。ヨナはこの 後、また失敗もします。この後も続きますが、今日は、ヨナの最初の悔い改めまでを学びました。後半は、次の機会に学びましょう。
We learned about the Baptism last week from the Bible. And Baptism has a symbolic meaning of the experience of the Ark of Noah and meaning of Jonah, too. Jonah was swallowed into sea and fish. He thought he was going to die. And through this hard experience of drowning with water, Jonah was reborn into new life with God. Let us go our life with God. After this story, Jonah will have a failure again. But today we will end this study at this point. Let us study continues story next time.
Nós aprendemos sobre o Batismo na semana passada da Bíblia. Batismo tem um significado simbólico da experiência da Arca de Noé e do significado de Jonas, também. Jonas foi engolido no mar por um peixe. Ele pensou que ia morrer. E através desta experiência difícil de se afogar na água, Jonas foi renascido para uma nova vida com Deus. Vamos levar nossa vida com Deus. Depois desta história, Jonas terá uma falha novamente. Mas hoje vamos encerrar este estudo neste momento. Vamos estudar a continuaçao desta história na próxima vez.
Hemos aprendido sobre el bautismo la semana pasada de la Biblia. Y el bautismo tiene un significado simbólico de la experiencia del Arca de Noé y el significado de Jonás, también. Jonás fue tragado en el mar y el pez. Pensó que iba a morir. Y a través de esta dura experiencia de ahogarse con el agua, Jonás ha renacido en la nueva vida con Dios. Vamos a nuestra vida con Dios. Después de esta historia, Jonás tendrá una falla de nuevo. Pero hoy vamos a terminar este estudio en este momento. Vamos a estudiar la historia continúa la próxima vez.

今日は、逃げるヨナと、どこまでも追いかけ、連れ戻す神様。そこで本当に回心して神様に出会ったヨナの話を学びました。
We today learned about Jonah's repent and God salvation. Jonah is running away from God, But God is following him with love and changing him and takes him back.
Hoje aprendemos sobre o arrependimentos de Jonas e a salvação de Deus. Jonas estava fugindo de Deus, mas Deus o seguiu com amor e mudou-o e trouxe-o de volta.
Hemos aprendido hoy se arrepienten de Jonás y la salvación de Dios. Jonás huye de Dios, pero Dios lo sigue con el amor y lo cambia y lo lleva de vuelta.

皆さんの人生の上にも、神様が一緒におられます。逃げても、神様はじっと待っておられます。そして、捕らえてくださいます。
God is always with you even if you run away. God is waiting until you will repent and do what you have to. God will catch you and change you.
Deus está sempre contigo mesmo se você fugir. Deus está esperando até que você se arrependa e faça o que você precisa. Deus vai pegá-lo e modificá-lo. Dios está siempre contigo, incluso si te escapas.
Dios está esperando hasta que se arrepienta y haga lo que tenga que hacerlo. Dios te atrapará y te cambie.

どうぞ、そんな神様と一緒に、祝福された生活を送っていきましょう。
Let us walk with God. God bless you.
Vamos caminhar com Deus. Deus te abençoe.
Vamos caminar con Dios. Dios te bendiga.
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礼拝週報・20100117

礼拝の週報です。
ポルトガル語礼拝です。

http://docs.google.com/fileview?id=0B-pFTNNrAIKINzg5OGU5YmUtYTU0OS00MjdjLTk5MzgtOTgyYzk3MjI2Y2E3&hl=ja

2010年1月16日土曜日

ブラジルのルーテル教会(IECLB)のハイチ救援募金

ブラジルのルーテル教会(IECLB)でも、ハイチ救援の募金を始めました。

http://www.luteranos.com.br/articles/13534/1/Apelo-em-favor-das-vitimas-do-terremoto-no-Haiti/1.html
これも、LWF(世界ルーテル連盟・ポルトガル語ではFederação Luterana Mundial - FLM)を通じて、ACT(Action by churches together)という超教派キリスト教NGOを通じて、現地の救援・復興支援の働きに充てられます。

ACTは世界的にも有名で実績のあるNGOで、自然災害の緊急支援や復興、政情不安による難民支援などにも、専門的なチームと共に、各国の加盟キリスト教会のパイプを通じて支援しています。

Igreja Luterana no Brasil (IECLB) também iniciou um levantamento de fundos para ajudar haitani pessoas.
Este é também um fundo a ser enviado para trabalhar através da FLM (Federação Luterana Mundial).
ACT tem uma equipe proffesional e ele também colabora com o membro igreja em cada país.


募金先口座は次の通りです。
Conta para doações:
Igreja terremoto no Haiti
Banco do Brasil
Agência: 0010-8
Conta corrente: 40.000-9

私は、LWFに直接献金しましたが同じところに集められることになります。
皆さんも、ご参加ください。
Você pode enviar dinheiro pessoalmente ou podemos coletar o dinheiro em nossa igreja e enviar junto.

私たちの教会で集めて、一緒に送金することもいたしますので、教会でお預かりすることもできます。
被災者の上に、一日も早く平和が戻りますように。
E eu estou orando pelas vítimas do terremoto.

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2010年1月10日日曜日

洗礼による生まれ変わり - Renascido pelo Baptismo- 

聖書朗読     Leitura Biblica
・旧約    イザヤ書 Is     42:1-7(AT p.1128)
・使徒    使徒言行録 Atos    10:34-38(NT p.233)
・新約    ルカによる福音書 Lucas    3:15-22(NT p.2)


説教題:「洗礼による生まれ変わり  - Renascido pelo Baptismo- 」

導入 先週は雨どいの修理と、裏の水道の修理をしました。何度も、お店と教会の間を行き来しました。修理中に水をかぶってしまって、頭からびしょ濡れになったりもしました。先週は水との格闘の一週間でした。

聖書に聞く
今日の聖書は、イエスさまが洗礼を受けられる時のお話です。罪びとではないので、「罪の許しのための洗礼」は受ける必要がありませんが、イエスさまも罪 びとの列の中に並び、洗礼者ヨハネから洗礼を受けられました。これは、「神様が天の高くにいらして、人々が熱心な信心をして、神様に救っていただく」とい う構図とは、正反対の構図です。

振り返り
「水に流す」という言葉が日本語にあります。「過去のいざこざなどを、すべて無かったことにすること」という説明が辞書にはあります。日本人の文化の良 さや悪さを考えさせられる言葉でもあります。みそぎをして、身も心も清めて、新しい出発をする。そんな感じでしょうか。しかし、うやむやにしてしまい、根 本的な解決はしていない、ということもあるでしょう。キリスト教の洗礼も、そのような物でしょうか? 水に流して、清めて頂く、ということでしょうか?  いえ、そうではありません。洗礼は、「水で一度死ぬ」ことを意味しています。人々の世が罪に満ちた時に、神様は世界を滅ぼそうとされました。そして、洪水 を起こしたのです、ノアの時に。私たちも、洗礼の水によって、一度おぼれ死んで、キリスト共に甦る体験をすることが必要なのです。今までの自分を、神様 に、あるいは人に「水に流してもらう」のではなくて、いちど、死んでしまうこと。今までの自分が消えてしまうこと。それが大切です。

奨め
洗礼式の式文の、洗礼式のための特別の祈りを読むと、その意味深さをさらに知ることが出来ます。ノアの時の洪水で罪人はことごとく滅ぼし罪を終わらせ、 信仰深いノアとその家族に新しい祝福をおあたえになったこと。エジプトから解放されて約束の地カナンに帰る時に紅海の海を割ってその中を歩み自由な新しい 人生を歩み始めたこと。ヨハネからイエスが洗礼をうけたときに、聖霊を受けられたこと。イエスの十字架の死そのものが死の洗礼と理解されていること、そし て復活によって永遠の命のみちを開かれたこと。そして、キリストご自身が、弟子たちに全世界に出て行ってすべての人に洗礼を授けよ、と命令し、それを教会 に託されたこと。洗礼をお受けになった方は、もう一度そのことをかみしめましょう。まだお受けになっていない方は、いつでも新しい人生を歩み始めることが できるように、神様に招かれています。今までの自分の心の中を見れば、醜いことやだめなことばかりの「罪びと」で、ノアの時に生きていたら、きっと滅ぼさ れる側にいただろうと思うことがあります。そんな自分を、一度きっぱり捨ててしまって、神様と共に、新しい生き方を始めましょう。人間同士で「水に流す」 ことではありません。すべてを神様にお任せして、信仰と希望を持って、一緒に歩んでいきましょう。皆さん一人ひとりの人生に、神様の守りと導きがあります ように。

祈り

2010年1月3日日曜日

「私の3つの捧げもの」 - Meus três presentes-

顕現主日礼拝


「私の3つの捧げもの」   - Meus três presentes-

聖書朗読  Leitura Biblica
・旧約 イザヤ Is  60:1-6a(AT p.1159)
・使徒 エフェソ Ef  3:1-12(NT p.354)
・新約 マタイ Mateus 2:1-12(NT p.2)


導入
 クリスマスは、12月24日にプレゼントを交換したり、子ども達は25日の朝にプレゼントをもらうのが楽しみですね。ところが、スペインでは1月6日のLos 3 Reyes Magosの日(3賢者の日)です。良い子にしていた子には贈り物、悪い子だったら炭が置いてあるだけ。年末のスペインに行って「炭」の形をした砂糖菓子が沢山屋台やスーパーで売られているのを見ました。ところで、スペインに住んでいる日本人のクリスマスは?と聞いてみると、「うちの子は12月25日と1月6日の両方にもらえるので大喜びなんです」ということでした。

聖書に聞く
 今日は、この東方の博士たちがキリストのところに来て、黄金、乳香、没薬をささげた物語です。聖書の記述以外に伝説などで諸説ありますが、贈り物の数から3人ということになり、東方の博士、あるいは占星術師とも。学者の知識をもってして、星に導かれて、救い主を探し当てた。旧約聖書に通じていた人たちもそれを知ることはできなかったのに。7世紀頃からメルキオール、バルタザール、カスパールという名前まで付けられ、老人の姿の賢者、青年の姿の賢者、壮年の姿の賢者、老人の姿の賢者としても描かれ、また、白人、黄色人、黒色人としても描かれることもあります。全人類の、全世代が救い主に出会うということをも象徴しています。彼らの贈り物は、それぞれ、黄金-王権の象徴、乳香-神性の象徴と没薬-将来の受難である死の象徴とも言われますが、天文学者、占星術者が、そのための道具すべてを捧げたという理解もあります。今までの常識や、自分の知識、すべてを捧げたとも。

振り返り
 クリスマスは、プレゼントをもらう日? プレゼントをあげる日でしょうか? クリスマスそのものが、地上に生まれ、命を捨てていかれるキリストを下さった程の愛の神様のプレゼントです。私の神様への、3つのプレゼントは何でしょうか?考えてみました。博士達のように、今までの自分の常識をかなぐり捨てる。自分中心の生活という一番大切な物を神様にお返しする。それが私の2つ。さて、もう一つは? 良いことを精一杯お献げするだけでなくて、自分の持っている一番厄介な物、心配ごともすべて神様にお返しすること。これが、3つ目のプレゼントでよいのではないでしょうか。捧げものとして。

奨め
 キリストに捧げる。今までの自分を、預けるという生活をしていきましょう。キリスト教は、一生懸命信じるのではなくて、神様に、キリストに、お任せして、その生き方をさせていただく歩みを始めること。それが既に、信仰をもっているということ。神様は、必ず、守って下さる。大きな祝福を下さいます。今年一年、希望と、祝福を頂く年としていきましょう。其々の人生の歩みに、神様の祝福をお祈りします。

私たちの教会について

「教会といっても色々あるようで、よく分からないなぁ。変なとこじゃないといいけど・・・」とよく聞きます。私(牧師)も昔そうでした。そこで、簡単に説明します。(igrejaluteranajaponesa@gmail.com)

 ブラジル福音ルーテル教会(IECLB)は、宗教改革者マルティン・ルターの流れを汲む、歴史のあるプロテスタント・キリスト教会です。 世界ではルーテル世界連盟(LWF)を組織し、世界最大のプロテスタント教会グループとして、世界各地で伝道・奉仕・教育に携わっています。LWFの社会奉仕部門のほか、ACTを通じた難民や被災者の緊急支援、開発事情では世界で定評があります。
 ブラジルでは、多数の日系人や駐在の日本人の方々のために、1965年から日本人牧師が宣教師として派遣されています。
 教会では、日本語での礼拝やメンバー同士の交流に加え、ブラジルでの社会奉仕の働きにも取り組んでいます。ポルトガル語での礼拝も始めました。

 日本語の礼拝、ポルトガル語の礼拝に参加したい方、牧師に相談がある方、楽しい食事やお茶をしながら、わいわいと情報交換をしたい方、日本のことをもっと知りたい日系人の方、駐在や引越しでブラジルへ来てもっといろいろな情報や人脈がほしい方、どなたでも、お気軽においでください。

 教会では、日本語によるパソコン相談教室や、日本語教室も始め、地域の皆さんにも喜んでいただいています。

 まずは、メイルをいただくか、日曜日の礼拝に来てみてください。牧師が丁寧に紹介や説明をいたします。
 ブラジル4年生?の牧師の日常生活を気ままに綴ったブログもご覧ください。