第一日課 エレミヤ書17章5節~8節 (旧 p. 1208)
第二日課 コリントの信徒への手紙Ⅰ12章27節~13章13節 (新 p. 316)
福音書 ルカによる福音書6章17節~26節 (新 p. 112)
説教題「辛いという字に一足すと…」- Se você colocar “1” para palavra “infeliz”-
導入
聖書に聞く
聖書を読んでいくと、イエスさまのお話で、幸いな人は次のような人たちでした。貧しい人、飢えている人、泣いている人、憎まれる時です。それに対して、不幸だとされる人は次のような人たちです。富んでいる人、満腹している人、笑っている人、ほめられる時です。
これらは、私たちの常識とは違います。むしろ正反対です。聖書をどうとらえてよいか、悩むところですね。
振り返り
私 たちは、普通、何を幸せと思い期待し、何を不幸と思い避けようとするでしょうか。八福教会のことから、日本の「七福神」を思い出しました。各地に七福神を 祀ってある神社やお寺があり、それらを巡りお参りをすると、ご利益があり幸せになれると、信じられています。では、その七福神がもたらす7つの幸せとは、 どんなことでしょうか。
少し調べてみました。弁財天が愛敬、大黒天が富財、毘沙門天が威光、寿老人が長寿、布袋尊が大量、恵比寿が正直、福 禄寿が人望のご利益があるとか。また、別の街ではそれぞれ、商売繁盛、幸福と財宝招来、音楽と財宝利得、幸福と長寿、長寿、財宝、福徳円満の神と言われて います。他には、達磨大使(七転び八起き)を入れて八福神のところもあるそうです。
人々が何を幸せとして求めているかがよくわかります。七福神の日本の信仰は、人々が欲しがるものです。しかし、聖書は、普通に求めるものと、正反対のものを提示しています。一見不幸な物、これを「幸い」と説くイエス様のその真意は何でしょう?
そ の答えは、今日の旧約聖書読むと、神様の声が聞こえてくるのです。「呪われよ、人間に信頼し、肉なる者を頼みとし、その心が主を離れ去っている人は。祝福 されよ、主に信頼する人は。主がその人のよりどころとなられる。」とあります。鍵は、人や自分に信頼するか、神に信頼するかということです。
奨め
し かし、聖書は、そこでもうひと頑張りを迫っているのではありません。この人「一文字」が、「もうひと頑張り」ではなくて、「神様 という一文字」になる時 に、私たちに、本当の幸せが来るに違いないのです。何よりも、神様を信じて、従い、任せること。苦しさや迷いや、困難が私たちの人生にはある。それを追い 払うのが目的ではなくて、その時にも、神様を見つめて生きるときに、本当の幸せが見えてくる。何が大切で、何がうつろな物かが、見えてくる。
そして、その後に、神様は祝福し、道を開いても下さる。辛い時に、どんな一文字をつけたすかで、私たちの人生は変わるのです。
「もうひと頑張りの」もよいが、「神様を一番にする」をつけたす生活に、イエスさまは招いていらっしゃるのでした。そして、隣人にも、愛の言葉を、奉仕を進めておられます。神様と共に歩みましょう。
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