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2009年8月16日日曜日

教会の住所 Endereço da igreja

Paróquia Evangélica Luterana Nipo-Brasireila
Comunidade São Paulo
Rua Doutor José de Queiróz Aranha, 116
- Vila Mariana São Paulo /SP
04106-060

・Tel 5571-6014
・mail > igrejaluteranajaponesa@gmail.com
・Ana Rosa駅下車、徒歩2分ほどです(下記地図参照)

礼拝案内 Culto

1、日本語礼拝 :第1.2.4.5日曜日 10:30-11:30
Culto em japonês:1º.2º.4º.5ºDomingos

2、ポルトガル語礼拝 :第3日曜日 14:30-16:00
Culto em português:3ºDomingo

・礼拝後、持ち寄りの食事会やお茶があります
・聞こえやすいように、赤外線ヘッドフォンを設置しています
・相談や聖書の学び、祈りをご希望の方は逐次
・聖書を学び、洗礼を受けたい方や転入会したい方は随時相談をお受けします

Prédica: "Para onde tenho que ir?"

いよいよ、ポルトガル語での夕礼拝を始めました。

文章は礼拝前に少し見てもらって修正して礼拝に臨みましたが、まだ、修正しきれていない間違えがあるかもしれません^_^; 恥をかきながらでも、めげずに頑張っていきたいと思います。

今日は、思ったよりたくさんの方々が来て下さり、ビラを見て初めて入ってきて下さったブラジル人の方もいらっしゃいました。

どうぞ、お出でください。

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Culto 16 agost 2009
Leitura Bíblia :Gęnesis 12:1-4
Prédica:"Para onde tenho que ir?"

HINO
1. Faz me Milagre
2. Sobre as Águas
3. Águas Purificadoras
4. Terremoto


Prédica:
1. Abraão
De repente Deus disse a Abraão.
" -Saia da sua terra, do meio dos seus parentes e da casa do seu pai e vá para uma terra que eu lhe mostrarei.".
No entanto, ele não tinha quem o guisse.
Se eu fosse Abraão, diria isso."Para onde?" O meu Deus! , Por favor me informa o destino. "

Este foi a passagem e o itinerário quando eu vim do Japão para o Brasil. Este documento, está escrito corretamente. Quando e onde eu tenho que embalcar no avião. E quantos tempo devo esperar para transferência. Se você tives tudo em mãos, ficará seguro.
Somos muito preocupados e muito ansiosos quando não sabemos para onde temos que ir ou o que vai acontecer no futuro. Mas, na realidade, a nossa vida é muito semelhante a esta. Ou você também não sabe o que vai fazer no próximo ano. Você sabe?Eu só vim do Japão em abril deste ano. Eu não sabia o que ia acontecer. Porem já conhecia esta igreja. E mesmo conhecendo. Eu estava muito preocupado.

2. Os imigrantes do Japão
Há 101 (cento e um) anos atrás começou a imigração Japonesa para o Brasil . Acho que eles estavam mais preocupados. Porque o Brasil é um país muito distante do Japão, e eles não viram esta terra antes. JICA localizado em Yokohama existem documentos e exposições no Museu Histórico da Imigração. Fui lá ver com a minha esposa. E observei a tela do computador, disse a esposa. "Olha, acho que já vi esta pessoa em algum lugar? " Houve um vídeo com a entrevista da Sra. Suda desta Igreja.- Durante a noite, um navio aproximava-se de um porto, e viram uma cidade e nela um farol. Ouvia uma voz; Há luz ali em frente. Tém electricidade no Amazônia no Brasil." Isso e aliviou.-Começam uma nova vida para eles, Sem saber exatamente o que estávam esperando.

3. Nossas vidas.
Não só como os imigrantes, nós queixamos e perguntamos a Deus por muitas vezes. "Para onde?" "Por favor, nos informe o que lugar, qual destino?"
Seja no trabalho, seja no lares, ou nas compras, somos obrigados a decidir. Você as vezes consegue, as vezes falha, as vezes voce se alegra. As vezes atribulado. Você pode ficar perdido. Temos todas essas coisas em nossas vidas.

4. Sinalização rodoviária ou placas
Quando você não sabe onde estão, podemos olhar a sinalização rodoviária. Este é um marco que mostra a rua em frente à igreja. No Brasil tem nome para cada rua, e está escrito em cada uma delas, porque é conveniente para saber. No Japão, já não fnciona assim.

5. Perguntar a rua
E quando você ainda está inseguro, você pode perguntar a rua. Um dia, quando eu fui a Sé com o pr. Ohno para ir ao cartório, ele ouve uma senhora na rua. Depois, desta senhora, outro homem que estava ao meu lado, respondeu junto. Porem , suas orientaçoes foram diferetes, completamente oposito, para um único ocal. Quando você pergunta, deve perguntar muitas vezes. E temos que perguntar para alguém que você confia.

6. Abraão é o pai da fé
Apesar de não saber para onde ir, Abraão foi . Ele é uma verdadeira confiança em Deus.Só a Deus ele dava ouvidos. E Deus estava satisfeito com a fé dele. Por isso, Deus abençoou-o e encaminhando-o. Portanto, ele foi chamado como um pai da fé.
Ouvimos as palavras da Escritura: HEBURUS capituro onze versiculo oito a dez.
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11:8 Foi pela fé que Abraão ao ser chamado por Deus, obedeceu e saiu para uma terra que Deus lhe prometeu dar. Ele deixou o seu próprio país, sem saber para onde ia.11:9 Pela fé ele morou como estrangeiro na terra que Deus lhe havia prometido. Viveu um barracas com Isaque e Jacó, que também receberam a mesma promessa de Deus.11:10 Porque Abraão esperava a cidade que Deus planejou e construiu, a cidade que tem alicerces que não podem ser destruídos.
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Por vezes, reclamamos a Deus pensando na nossa mente, "para onde tenho que ir? "E, por vezes, se perdeu e reclamou a Deus, "para onde devo ir?"
Mas quando nós confiamos em Deus e Leemos a Bíblia, e ouvir a voz de Deus quando podemos ouvir na oração, e viver conforme a orientados de Deus, certamente somos abençoados por Deus.Deus nos mostra o modo como Ele fez a Abraão. E Deus guiará onde quer que vá.
Vamos confiar em Deus.
Algo vai acontecer na sua vida.

7. O culto em Português e a sua vida
O culto em Português começou hoje. e não sei o que está a acontecer ira na próxima.Deus orientar e ajudar. Com sua ajuda, podemos prosseguir.
E nós podemos compartilhar muitas bênçãos entre nós.
Que Deus te abençoe em nossa nova jornada.

Oração

2009年8月9日日曜日

Prédica 「神(かみ)の愛(あい)の語り部(かたりべ)  -O narrador de amor de Deus -」

ルーテル・サンパウロ教会 8月9日 聖 霊 降 臨 後 第 十 主 日(緑)

聖書
 第一日課  アモス書7章10節~15節 (旧 p. 1438)
 第二日課 エフェソの信徒への手紙1章3節~14節 (新 p. 352)
 福音書 マルコによる福音書6章6b節~13節 (新 p. 68)

説教題  Prédica 「神(かみ)の愛(あい)の語り部(かたりべ)  -O narrador de amor de Deus -」

導入
 広島と長崎の原爆記念日、そして、終戦記念日の季節、平和を祈りながら過ごしています。
子 どものころ、父と母に連れられて、それぞれの町を訪ね、怖い写真をたくさん見て、小学生の自分には、戦争の悲惨さと平和の大切さという崇高なことよりも、 むしろ「怖さ」を感じ、暗い気持ちになったことを思い出します。NHKのドラマ「少女たちの日記」を見ました。爆心地から0.6キロの場所で建物疎開の作 業中に223人が亡くなった広島第一高等女学校の1年生の物語でした。亡くなった生徒の日記帳と遺族や友人への取材から構成されたドラマで、遺族である鹿 児島教会の会員もインタビューに出演しておられます。戦時下で思春期を過ごした少女たちのみずみずしい毎日が描かれ、それは重苦しい戦争ドラマではなく、 さわやかさせ感じました。そして、それが一瞬の原爆によって突然断たれたことから、戦争の悲しさと平和の大切さを訴えかけられたように思います。
 また、被爆体験の語り部たちが高齢になり、病状も悪化し、今まで黙していた人が覚悟を決めて、その後を継いでいく姿も、ニュースで報じられていました。

聖書に聞く
  今日の聖書には、イエス様によって、宣教に遣わされる弟子たちへの心構え、覚悟が語られ、その働きが語られています。今日は、原爆の日を覚え、また企画迎 える終戦記念日を思いながら、平和について考え、祈りたいと思います。また、派遣された弟子たちのことを学びながら、今の社会で生きる私たちのあり方につ いて、ともに聖書を学びたいと思います。
 日本のルーテル教会で、中学高校生向けに、毎週水曜日にパソコンや携帯にメールが届くようなメーリング リストがあります。先週私ももらったメッセージを読んで、考えさせられました。次のようなストーリーがありました:「キリシタン殉教の歴史を持つ長崎に、 原子爆弾が落とされて大勢の人のいのちが一度に奪われた時、生き残った長崎のクリスチャンたちは「これは神が与えた試練」と、あまりに大きすぎる悲しみや 苦しみに、恨むことなくただ黙って堪(た)えようとしたという。けれどもやがて、それではいけないと気がついた。なぜなら、その後も次々に新たな核兵器が 開発され、世界に広がっていったから。その流れを止めること、そのために、被爆したつらい体験を世界中に伝えることこそ、神様が自分たちに託した使命だと わかったそうだ。」
 つらい思いをした人は、それを語ることが平和のための使命だと、とらえて、平和の使者へと変えられていきました。
  私たちも、神様から頂いた、苦しみや試練や、そして、恵みや喜びを、神様からの使者として、人々に伝えていくことが願われています。弟子たちの派遣のよう な、大げさな出来事ではなくても、小さなことでもよいのです。そして、自分が苦しみを受けたので、人にも苦しみを与えてスッとするではなく。悲しみを与え られたから、無差別に他人に悲しみを与えるような出来事をしでかして、解消しようという、悪の連鎖ではなくて、キリストに十字架によって、方向が転換させ られることが必要です。

振り返り
 「爆弾には愛を」というキャンペーンと、講演会を数年前したことを思い出します。東京と京都と 広島で数年前に行いました。講師は、パレスチナ/イスラエルのベツレヘムにある、クリスマスルーテル教会の牧師、ミトリ・ラヘブ氏です。彼は、パレスチナ 人ですが、イスラム教徒ではなくて、代々のクリスチャンです。過激なイスラム教徒が自爆テロをしてイスラエルと対立が激化している様子がよく伝えられます が、パレスチナ人のクリスチャンも昔からいるのです。彼らは、イエス様がお生まれになったベツレヘムの降誕教会のすぐそばにあるルーテル教会に集まりま す。彼らが民族や宗教のぶつかり合いと戦いをやめて、対話とともに平和に過ごすことを模索し、平和活動と、困窮させられているパレスチナ人の開発援助の仕 事をしています。彼を日本に呼び、そして、翌年ボランティアを連れて彼の教会「ベツレヘム・クリスマス・ルーテル教会(Evangelical Lutheran Christmas Church, Bethlehem)」や「ベツレヘム国際センター(The International Center of Bethlehem)」を訪ね、とても仲良くしている同年代の牧師仲間で、ブラジルに来てからも彼とのメイルのやり取りをしています。
 「がれきの天使」 と名付けられたものがあります。天使の形をした飾りです。きれいな飾りですが、これは、もともとは、ガラスの破片から作られています。イスラエル軍が報復 と称してパレスチナ人たちの家や商店を砲撃し、粉々にされたガラスや、ワインボトルなどから、天使の飾りを作ることを思いついたのです。暴力の応酬で、互 いに、もはや信じることができなくなり、見境のない闘争に、少年たちも狩りたてられ、石を投げ、タイヤを焼き、やがては爆弾を体に巻いてテロに走る、それ に報復攻撃をして、家族を失い、それにまた報復する・・・。人間の罪のなせる終わることのない、憎悪と悪の連鎖です。ミトリ牧師は、暴力に暴力で報いるの ではなく、ただ悲嘆にくれるのでもなく、ガラスの破片で平和の天使を作り、人々の心に愛のともしびをともさせました。そして、それは、商品としても売れ、 彼らの困窮した生活を自立へと導く生活再建にも貢献させているのです。尊厳と、愛のある人々に変えることができています。

薦め
 弟子たちも、イエス様によって派遣されました。
 私たちも、教会から派遣されていきます。礼拝は、罪の告白から始まると、先週の説教でお話ししました。そして、礼拝は、派遣の部で終わっていくように形作られています。
 開会の部で罪の告白とゆるしの宣言。み言葉の部で聖書朗読と説教。奉献の部で献金と自分を捧げる祈り。聖さんの部では最後の晩餐の食卓を共に囲みます。そして、派遣の部で神様の祝福を牧師から受け、それぞれの生活の場に、戻るのではなくて、派遣されていくのです。
罪の中に生れ、罪や困難さをもつ私たちですが、礼拝の中でゆるしと神の言葉を聞き、心をもう一度新たに作りかえられて、感謝の捧げものをし、派遣されていくのが、毎週の礼拝です。
罪や挫折や憎しみを、神様の赦しにより、作りかえられて、愛と平和の使者として、派遣されていきましょう。私たちも、「戦争体験の語り部」ではありませんが、「神の愛の語り部」にされていきましょう。

祈り

2009年8月7日金曜日

ポルトガル語での礼拝始めます

 私たちの教会では、日本語での礼拝に加えて、ポルトガル語での礼拝も始めます。
 まずは、第3日曜日の夕方の礼拝として開始します。
 
 Começamos uma culto em Português !
Vamos Cantar, ler a Bíblia, y orar.
Culto em português :cadas 3º Domingos 18:00 ás 19:30
E primero culto é na dia 16 de agost.

 どなたでもお気軽においで下さい。
Participe! Estou esperando por você!




















また、ご要望にお応えして、日本語でのパソコン相談教室や、日本語講座も始めています。
多くの方と知り合いになり、お役にたちたいと思っています。
一時間単位で時間をきめて、個別指導の予約制です。
水、木、金の10-17時までです。お昼はお仕事の都合で難しい方は、20時までご相談に応じます。
詳しい質問や予約は、まず、お電話をください(11)5571-6014。
・ 日本語での個別指導をします。
・ お持ちのパソコンの日本語設定、ポルトガル語設定
・ メールやインターネットの設定や操作方法
・ ウイルス対策ソフト設定、迷惑メール除去方法
・ 無料テレビ電話Skype の設定
・ 修理やクリーンインストール(買った状態に戻す)
・ デジカメ写真印刷や、名刺やカレンダー作成、無料ソフト紹介
・ 無料のOffice ソフト(Word,Excel 互換)のインストールと使用法説明
・ 無線LAN 設定や配線工事(訪問可能)

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2009年8月1日土曜日

見えるもの、見えないもの - O que você vê, o que você não vê -

説教題: 「見えるもの、見えないもの - O que você vê, o que você não vê -」

導入
 日本の選挙が近づきました。私も在外選挙登録を領事館で済ませました。2世議員の事が話題になっています。それまで政治とは無関係な仕事をしていても、故郷で大歓迎され、後を継ぐことがよくあり、疑問が提示されています。

聖書に聞く
 今日の聖書には、イエス様は故郷に帰ると受け入れられなかった様子が描かれています。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。知恵や奇跡はなにか・・」と人々は驚きました。しかし、それで「従った」のではなくて、「つまずいた」のです。故郷の人々は、今までの素性や家族のことを見て、目に見えるものに惑わされて、イエス様に従うことができませんでした。私たちの眼は、表面の事柄にとらわれていて、その真相や、中身を見抜くことが何と難しいことでしょうか。それは、神様に対してだけではなくて、私たちの人間関係でも同様です。人の本当の気持ちや、その人の良さを見つけることができずに分かり合えなかったり、傷ついたり、傷つけたり。逆に、悪さを見抜くことができずに惑わされたり、裏切られたり。

振り返り
 教会では、よく手紙を出します。幼稚園にいる頃もよく入園案内を家内と何千通を徹夜して印刷して、夜中に郵便局に持っていったものです。今は、個人情報の観点から、ダイレクトメイルは出せなくなったようですが、教会や幼稚園のことを見てもらおう、来てもらおうと、一生懸命でした。封筒を開けてもらうのが勝負ですから、きれいにカラー印刷して、中に何が入っているか書いて、宛名は真心が通じるように手書きで・・と気を使いました。人間もどうしたら、中身の本当の良さを分かってもらえるでしょうか。よく見せようとして、背伸びをするようなことが多くあります。着飾ってみたり、相手に強く出て従わせようとしたり、それが私たち人間の常です。しかし、今日の聖書でパウロは驚くべきことを書いています。「キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。・・・なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである」と。力を抜いて、飾らずむしろ弱い自分を見せる。その時に、そこにいらっしゃり、助けてくださっている神様がよく見える、というのです。キリストも徹頭徹尾、人々を愛し、許されました。十字架上でも人々をゆるし、祈られました。力では負けたように見えても、大きなその愛は、勝っています。人々はやがてその愛に心打たれ、飲みこまれていきました。

薦め
 手紙を出すときに、「どうぞ開けてください」と書くより、立派な封筒にしてさぞかし良いものが入っているように見せるより、透明の封筒に入れて、中身を見てもらうようなものです。最近こういう業者も多くありますね。私たちは、どれだけよく生きようとしても、取り繕っても、神様の目から見れば、「罪びと」です。ですから、礼拝は罪の告白から始まります。そして、ゆるしの宣言をいただいて、聖書の言葉を聞き、神様の愛やゆるしについて学びます。洗礼を受け根本的な罪を赦され、そして、聖餐式の度に新たな赦しと力をいただくのです。自分自身が透明の封筒のようになって、その中に宿りいつも導いて下さるキリストの愛が、見え隠れするように歩んでいきたいものです。

私たちの教会について

「教会といっても色々あるようで、よく分からないなぁ。変なとこじゃないといいけど・・・」とよく聞きます。私(牧師)も昔そうでした。そこで、簡単に説明します。(igrejaluteranajaponesa@gmail.com)

 ブラジル福音ルーテル教会(IECLB)は、宗教改革者マルティン・ルターの流れを汲む、歴史のあるプロテスタント・キリスト教会です。 世界ではルーテル世界連盟(LWF)を組織し、世界最大のプロテスタント教会グループとして、世界各地で伝道・奉仕・教育に携わっています。LWFの社会奉仕部門のほか、ACTを通じた難民や被災者の緊急支援、開発事情では世界で定評があります。
 ブラジルでは、多数の日系人や駐在の日本人の方々のために、1965年から日本人牧師が宣教師として派遣されています。
 教会では、日本語での礼拝やメンバー同士の交流に加え、ブラジルでの社会奉仕の働きにも取り組んでいます。ポルトガル語での礼拝も始めました。

 日本語の礼拝、ポルトガル語の礼拝に参加したい方、牧師に相談がある方、楽しい食事やお茶をしながら、わいわいと情報交換をしたい方、日本のことをもっと知りたい日系人の方、駐在や引越しでブラジルへ来てもっといろいろな情報や人脈がほしい方、どなたでも、お気軽においでください。

 教会では、日本語によるパソコン相談教室や、日本語教室も始め、地域の皆さんにも喜んでいただいています。

 まずは、メイルをいただくか、日曜日の礼拝に来てみてください。牧師が丁寧に紹介や説明をいたします。
 ブラジル4年生?の牧師の日常生活を気ままに綴ったブログもご覧ください。