- O Chamado de Deus para cada um de nós -
聖書
第一日課 エレミヤ書1章9節~12節 (旧 p. 1172)
第二日課 コリントの信徒への手紙Ⅰ12章12節~26節 (新 p. 316)
福音書 ルカによる福音書5章1節~11節 (新 p. 109)
導入
先週はヨナについて学びました。神様から逃げた預言者でしたが、大変な体験をして、回心し神様のもとに戻って来ました。今日は、エレミヤの召命と、イエス様の弟子の召命についての物語です。神様からの呼びかけについて、学んでいきましょう。
聖書に聞く
エレミヤはヨナのように不信仰ではなくて、有名な偉大な預言者でした。彼が神様に選ばれる時、神様が手を伸ばして彼の口に触れ「あなたの口に私の言葉を授ける。見よ、今日、あなたに、諸国民、諸王国に対する権威を委ねる。抜き、壊し、滅ぼし、破壊し、あるいは建て、植えるために」と語りかけます。そして、アーモンド(シャーケード)の幻を見せて、「わたしは、私の言葉を成し遂げようと見張っている(ショーケード)」と、いつも共にいて、いつも見ていることを告げるのでした。それから、エレミヤは神の言葉を携えて、人々に伝える働きを始めました。新約聖書はイエス様が漁師を弟子として召し出す時の話です。漁師たちは、イエス様に声をかけられます。最初は、湖岸で押し寄せる群衆に話がしやすいように舟を沖に出すように頼まれて、み言葉を語るステージのような役割をさせたのでした。そしてその後、彼らを弟子として召し出されます。み言葉を語るイエスを支える役割だけではなくて、共にみ言葉を伝え、人間を取る漁師にするということでした。彼らは一晩網を降ろしても何も獲れなかったのに、イエス様の言葉に従うと、溢れるばかりの魚が獲れ、ペテロはこの方がただの人でないことを信じるのでした。それから、彼は一切を捨てて、キリストに従いました。
振り返り


さて、今日の聖書のメッセージは、預言者や弟子が神様に呼び出される話や、牧師が生まれていったり、宣教師が派遣されたり、そういう話だけではありません。昔、そんなことがあったんだなぁと、他人事ではないのです。私たち信徒一人ひとりが、神様によって、呼びかけられ、招かれています。洗礼をうけたとき、受けようと思う日。そんな大きな時だけでなくて、目の前で、困っている人に出会ったとき。通り過ぎることもできるし、立ち止まることもできる。手を振り払うこともできるし、手を伸ばすこともできる。一期一会の、一瞬一瞬が神様の招きの時。大それたことばかりではない、小さなこともあるのです。この写真(メトロの駅の通行人の写真)にあるように、普通の生活の一コマで、神様は私に声をかけ、誰かに会わせているかもしれません。神様を伝えるために、または、困っている人に愛の手を差し伸べるために。今週私たちは、誰に会うでしょうか? どこに遣わされるでしょうか? 神様と共に歩みましょう。
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