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2009年6月14日日曜日

説教:「新しい革袋に -em oders novos-」

聖 霊 降 臨 後 第 3 主 日(緑)
・ 第一の日課 ホセア書2章16節~22節 (旧 p. 1405)
・ 第二の日課 コリントの信徒への手紙Ⅱ3章1節~6節 (新 p. 327)
・ 福 音 書  マルコによる福音書2章18節~22節 (新 p. 64)

説教題:「新しい革袋に -em oders novos-」

導入
  「新しいぶどう酒は新しい革袋に」という言葉や「三位一体」という言葉も、聖書の言葉というよりも、一般社会でも良く使われるようになった言葉です。特に 政府の行財政改革の中で、よく使われていました。 先週日本での大臣の辞任や、アメリカ、イランの大統領選挙も「改革」が焦点でした。「改革」というと、 今までのものすべてが悪で、新しいものが良いものということでしょうか? あるいは、キリストの弟子以外は、旧態依然たるあり方に固執するだけの、「改革 への抵抗勢力」とも言える悪役たちだったというのでしょうか。

み言葉に聞く
  今日の聖書では、ヨハネの弟子たちとファリサイ派の人々とイエスさまとの問答の場面です。ヨハネの弟子たちとファリサイ派の人々は断食をしていましたが、 イエスさまの弟子たちが断食をしないことに対して、「どうしてこれをしないのですか?」と問いただしたのです。「イエスさまの言い分がもっとも」で、ヨハ ネの弟子たちやファリサイ派の人たちは「何を古いことを言っているんだろう」と読んでしまいますが、そう簡単に考えてはいけません。当時のユダヤ教の戒め や掟の中で、彼らがとても大切にしていた神様との関係を思えば思うほど、これらのことは、そう簡単にないがしろにしてはいけないことでした。むしろ、掟を 守っていないイエスの弟子たちが、とても不信仰にみえる、そういう出来事でした。
 なぜキリストはそれを「ないがしろ」にしたのか、理由は二つです。その掟の大切さを認めつつ、そこに心が伴っていないことを問題にされた。そして、それ以上に、今は、新しい神様との契約が実現する新しい時代が来ているのだいうことでした。
  神様との関係で、また、家族や友人との関係で、形だけで心が伴っていない自分。古い考え方、昔の出来事、たくさんのしがらみ、そして、変わることを恐れ、 嫌がる自分自身。それは、ヨハネの弟子たちやファリサイ派の人たちの中にだけではなくて、この自分の中にあることを知ることが大事なのです。キリストは、 それを打ち破りに来たのです。
 罪深い自分にしがみついているのをやめて、神様にゆだねる。無条件降伏する。そんな潔さで、私たちは変えられま す。それが洗礼を受け、キリスト者として生きていくことです。一生懸命に神様を信じることが信仰ではなくて、今までの重荷を下ろしてキリストにしたがって 生きてみること、これが信仰です。

振り返り
 新しい神様との関係を私たちに伝えたキリスト。新しいぶどう酒を入れるには、今までの古い私たちは役に立ちません。私たちは、いったん、破られ、裂かれなければなりません。
 それは、「ヨハネの弟子たちやファリサイ派の人たちはなんて物分りが悪いんだろう」と他人事のように 思っている私こそが、破られ、変えられねばならないのです。心の痛みを伴う出来事かもしれません。
 今までの自分を捨てて、キリストの十字架と共に一度死に、キリストの復活と共に、新しい自分が生まれる、そのことを洗礼を通して体験せねばならないのです。
 しかし、神様は、厳しいこと、破り裂かれるべきことを私たちに言っているだけではありません。
  「神の痛みの神学」という本を書き、世界的に有名になった北森嘉蔵先生のことをお聞きになったことがある方も多いと思います。先生は、熊本生まれでもとも とは、ルーテル教会の牧師でした。西洋社会が見ることの出来なかった視点、「神の痛み」という視点の神学をあらわし、大きな足跡を残した牧師です。私も晩 年の先生の講義を受けることが出来た一人です。この先生が「神の傷みの神学」で、キリストの愛というは、「するどい両刃の剣を、風呂敷で包み込むようなも のである。」と言っておられます。するどい両刃の剣を風呂敷で包むなら、その風呂敷は傷つき破れてしまいます。けれども、そのような痛みを負いながらもな お包み込んでいく愛、それが、神の愛、キリストの十字架の愛だというのです。「神様は人間を超越しているので悲しんだり悩んだり痛んだりしない」という発 想ではなくて、「神様が痛む」ということを先生は言われました。そして、日本人が古来から使う風呂敷をたとえに使って、神様の自分を犠牲にしながらも私た ちを包み込む愛を、見出して、わかりやすく説明してくれています。

奨め
 今までの自分を捨てて、新しく生まれ変わるという、ある意味で決断と犠牲を払わねばならない出来事ですが、古い革袋のように破り去られる私たち以上に苦しまれたのが、私たちを包み込んで傷つき破れてしまった風呂敷のようなキリストがいることを忘れてはなりません。
 やさしさを受けても、許しと愛を受けても、依然として鋭い両刃の剣を振りかざし、キリストを傷つけ続けているのが私たちの姿です。
  古い革袋と、風呂敷のことを思い出しながら、キリストの愛を思い出し、私たちも、ゆるしと愛のある人間に変えられていきたいものです。神様の大きな痛みを 伴う、大きな愛に触れて、作り変えられ、私たちも愛と希望のあるキリスト者として、多くの人に出会っていけるよう、神様の祝福をお祈りいたしましょう。 

祈り

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私たちの教会について

「教会といっても色々あるようで、よく分からないなぁ。変なとこじゃないといいけど・・・」とよく聞きます。私(牧師)も昔そうでした。そこで、簡単に説明します。(igrejaluteranajaponesa@gmail.com)

 ブラジル福音ルーテル教会(IECLB)は、宗教改革者マルティン・ルターの流れを汲む、歴史のあるプロテスタント・キリスト教会です。 世界ではルーテル世界連盟(LWF)を組織し、世界最大のプロテスタント教会グループとして、世界各地で伝道・奉仕・教育に携わっています。LWFの社会奉仕部門のほか、ACTを通じた難民や被災者の緊急支援、開発事情では世界で定評があります。
 ブラジルでは、多数の日系人や駐在の日本人の方々のために、1965年から日本人牧師が宣教師として派遣されています。
 教会では、日本語での礼拝やメンバー同士の交流に加え、ブラジルでの社会奉仕の働きにも取り組んでいます。ポルトガル語での礼拝も始めました。

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 教会では、日本語によるパソコン相談教室や、日本語教室も始め、地域の皆さんにも喜んでいただいています。

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